#63【中学校社会科 歴史ノート】江戸時代 江戸幕府の滅亡

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てぃ~ちゃ~Mです

今回は#63【中学校社会科 歴史】江戸時代 江戸幕府の滅亡 を紹介します

▼今回の動画はこちら▼

まとめ(ノート用)コピペどーぞ(^_^)

幕府政治の終わり

鎖国攘夷の孝明天皇(幕府に任せてもいいという考え)

孝明天皇の妹「和宮(かずのみや)」と徳川将軍「家茂(いえもち)」が結婚(1862年)

=公武合体

家茂の病死により15代将軍に「徳川慶喜」

・徳川慶喜・・・政権を天皇に返上し良い地位につこう

→大政奉還(1867年)

・岩倉具視、薩摩や長州など・・・幕府の権力回復はダメだ

→王政復古の大号令(1867年)

民衆

今年は世直しええじゃないか・・・一揆と踊り騒ぎ

戊辰戦争(1868年~1869年)

新政府軍(官軍。薩長中心)と旧幕府軍との闘い

1868年1月~鳥羽伏見の戦い(京都)

1868年4月~江戸城無血開城(西郷隆盛と勝海舟の話し合いで江戸は戦場にならなかった)

1868年9月~会津若松の戦い

1969年5月~函館戦争(五稜郭にて降伏)

新政府軍の勝利

勉強復習、予習、テスト勉強などの参考にどうぞ(^_^)

▼歴史記事▼

本記事の内容: 江戸幕府の終わりがわかる

入試でもよく出る江戸時代

おさらい

尊王攘夷運動が過激になってくることと井伊直弼による安政の大獄と桜田門外の変がありました

井伊直弼は安政の大獄で将軍の跡継ぎ問題をめぐり対立していた人々や、通商調印への批判者などを次々と処罰していきました

これに対し、水戸藩などの武士が井伊直弼を暗殺する桜田門外の変がおこります

幕府は何とかして組織を再強化したい

朝廷側も時期をみて権力回復をしたい

それぞれの思惑を一致させる政策が「公武合体」です

将軍家の家茂と当時の天皇(孝明天皇)の妹である和宮との結婚である

でも、裏で虎視眈々と機会を狙っている人物がいました

それが、公家の「岩倉具視」です。のちに、岩倉使節といって海外視察に行くリーダーです。

岩倉具視はこう思っていたことです「今のうちに幕府と手を組み、時期をみて政権をとろう」と、、、

ですが、孝明天皇は幕府が中心の政治でもいいと考えていました。

さておき、攘夷へ

過激な行動をする長州藩に対し朝廷も取り締まりを強化していきます。薩摩藩や、会津藩、新撰組などが取り締まりを強化していきます

そんな中起こるのが下関事件(1863年)。長州藩の外国船への砲撃です。

もう一つ、禁門の変という長州藩による京都襲撃事件も起きます(計画は失敗に終わる)

そんな長州藩に対して内外から制裁が加えられます。下関戦争(1864年)と長州征伐です。

でも長州藩は幕府への抵抗はやめません。奇兵隊を組織して倒幕をすすめたのが高杉晋作。

1866年に第二次長州征伐を幕府が行うが、薩長同盟が秘密裏に結ばれていることもあり、幕府軍の負けで終わる。当時の将軍であった家茂も病気のため亡くなってしまう。

民衆の動き

「世直し」を求める民衆が一揆や打ちこわしなど各地でおこす。なかには「ええじゃないか」と踊り騒ぐ様子も見られました

民衆も幕府の政治に対しての変革を求めていたことがうかがえます

幕府の終わり

家茂の次の将軍が、徳川最後の将軍、徳川慶喜です

徳川慶喜

15代将軍です。幕府の弱体化もあり何とかして政権を握ろうとしていた幕府ですが、このままでは難しいといわれます。なので、公武合体路線で話を進めていこうと考えていました

なので、1867年に政権を天皇に返しました。これが「大政奉還」です

でも、新たにできる組織で慶喜は天皇の元、将軍として議長になり、大名を下に従えるという体制を考えていました。

いっぽう、孝明天皇も政権は幕府でもいいかな。と考えていたのですが、そうは思っていない人々も多くいました。

公家の岩倉具視もその一人です。幕府が政権を握るのはマズいな・・・と思っている矢先、幕府よりの孝明天皇が病死しました。(毒殺された説もあります)。

天皇が亡くなったため新たな天皇をたてる必要があります。それが明治天皇。明治天皇が即位することにより薩摩藩も長州藩も倒幕への動きが高まります。

将軍、慶喜のかんがえとは裏腹に、これらの勢力が中心となって天皇中心の政治に戻すことを宣言します。これが「王政復古の大号令」です(1867年)

これにより、将軍は新政府への参加が認められず、幕領の返上を命じられました。こうして江戸幕府は終わりをむかえます。

戊辰戦争

1868年~1869年

新政府軍(官軍)と旧幕府軍との闘い

幕府にとっては、領地も権力も奪われた状態なので納得いかない。年明けの正月早々から開戦したのだ

新政府軍は薩摩藩や長州藩が中心となって組織された軍隊。

1868年1月~鳥羽伏見の戦い(京都)

1868年4月~江戸城無血開城(西郷隆盛と勝海舟の話し合いで江戸は戦場にならなかった)

1868年9月~会津若松の戦い

1969年5月~函館戦争(五稜郭にて降伏)

西郷隆盛と勝海舟

五稜郭

新政府軍の勝利で終わり、江戸幕府は本当の終わりをむかえます。

問題

頻出問題①

徳川最後の15代将軍を以下から選んで答えなさい

【 家光 綱吉 家茂 慶喜 】

答えはこちら

頻出問題②

大政奉還の後に、長州・薩摩両藩が中心となって出させたもので、幕府を廃止し、天皇のもとに新たな政治を行う形をとるようにしたことを何というか答えなさい。

答えはこちら

頻出問題③

1868年1月から翌年5月にかけて、新政府軍と旧幕府派との間で行われた内戦。

鳥羽・伏見の戦い、会津戦争、箱館戦争などの総称を何というか。以下から選んで答えなさい。

【 南北戦争 西南戦争 戊辰戦争 乙巳の変 】

答えはこちら

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