こんにちは
てぃ~ちゃ~Mです
今回は#17として「飛鳥時代の政治と文化」を紹介します
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①聖徳太子の政治まで
〇蘇我氏(大臣)VS物部氏(大連)×
聖徳太子(厩戸皇子(うまやどのおうじ)が蘇我氏側に着く)
② 天皇中心の政治
聖徳太子は推古天皇の摂政になる
十七条憲法 ~ 役人の心得
冠位十二階 ~ 役人の位
遣隋使 ~ 小野妹子ら。政治制度、仏教の取入れ
③ 飛鳥文化~日本最古の仏教文化
法隆寺 ~ 現存する最古の木造建築。飛鳥寺・四天王寺などの仏教寺院
釈迦三尊像。弥勒菩薩像。玉虫厨子。唐草文様(ヘレニズムの影響)
勉強復習、予習、テスト勉強などの参考にどうぞ(^_^)
▼ 歴史記事 ▼
本記事の内容:日本の6世紀ごろの様子を知る
- 聖徳太子の政治まで
- 天皇中心の政治
- 飛鳥文化
日本の大体の時代で言うと6世紀ごろだと思っていてください
前回は大和政権の大まかな流れを紹介しました
①聖徳太子の政治まで
有名な聖徳太子ですが、聖徳太子の裏に関わりのある影響力の強い一族がいます
それが、蘇我氏です。
この蘇我氏の中で、今回メインになってくるのが蘇我馬子です
蘇我氏の系図を簡単に書くと
蘇我韓子(そがのからこ)(曾祖父)→蘇我高麗(そがのこま)(祖父)→蘇我馬子(そがのうまこ)になります
蘇我馬子に関しては、前回、古墳関係を紹介した時に、石舞台古墳を紹介しましたが、この古墳が蘇我馬子の古墳であろうと考えられてます。
その蘇我氏のおじいちゃんらを見てもらうとわかると思いますが、
名前が高麗、韓子と書かれています。想像できると思いますが、おそらく渡来系の一族になるのでしょう。
そんな蘇我氏の姓(かばね)(職業)が、臣(オミ)です。そのなかでも一番強い大臣(おおおみ)
そんな蘇我氏に対立勢力があります
それが
物部(もののべ)氏です。
当時は、物部守屋(もりや)ひきいる物部氏の大連(おおむらじ)(軍事・裁判関係)が対立します
蘇我氏は外国をよく知っている。物部氏は日本の国内の治安維持
その人物らの父らが対立していた
蘇我氏の主張:大陸文化の仏教を取り入れよう。馬子の父の稲目(いなめ)と
物部氏の主張:仏教は日本の神々を怒らせます。守屋の父の尾輿(おこし)が対立
日本の八百万の神々を怒らせてしまうという事ですね。
ですが、天皇「一度試しに拝んでみなさい」といいますが、病気がはやってしまいます。
そこで、やっぱり仏教はだめだとなりますが、蘇我氏は、天皇の親戚になることで権力を強めます。
その他に。寺を立てたりもしたのですが、やっぱり病気がはやってしまう。
現代で考えれば、おそらくはそういったところに因果関係はありませんが、昔は病気は怖いものです。薬などもありませんからね
もめごとはその子供たちまで影響し、蘇我馬子の主張:大陸文化の仏教を取り入れよう。と、物部守屋の主張:仏教は日本の神々を怒らせます。で、
武力衝突に発展する
そんな中、聖徳太子(厩戸皇子)が蘇我氏側についています。
理由は、聖徳太子は蘇我氏の親戚だから。ということは、天皇側が蘇我氏。
結局、物部氏(廃仏派)がやられます。
そして、天皇中心の政治を目指す
小話ですが、物部守屋の死後、わざわいがあっちこっちでおこる。その災いは守屋の呪いだとされた。
その災いを鎮めるためにまつられた場所が現在の大阪市のJR環状線にある「森ノ宮」です
「もりやのみや」が変化して「もりのみや」現在にも続く古い歴史です
話を戻して、天皇中心の政治へと変化していく
推古天皇(女性)(蘇我馬子の姪)の摂政となって天皇を補佐する聖徳太子(推古天皇の甥っ子)
推古天皇は女性なので政治を助ける必要があったので、聖徳太子が摂政となっている
摂政とは君主が幼少、女性などの場合に代わって政治を行う役割です
豪族の勢力拡大を防ぐ目的、血族による権力集中の政治体制へ
これにより、豪族の連合政権 → 天皇主権国家(中央集権)へと変化していく
②天皇中心の政治
- 十七条憲法 ~ 役人の心得
王権の強化
Point:
「和」を持って、あつく三宝を敬え「仏」「法」「僧」です。「詔」は慎め「詔」とは天皇の言葉
上の「 」を覚えておく
- 冠位十二階 ~ 役人の位
世襲ではなく才能や手柄重視
- 遣隋使で代表的なのが「小野妹子」。遣隋使は政治制度、仏教を学び、取入れ
③飛鳥文化
- 日本最古の仏教文化。飛鳥文化は仏教文化
- 法隆寺 ~ 現存する最古の木造建築。ヘレニズムの建築様式の影響がみられるエンタシスの柱
- 飛鳥寺 ~ 日本最初の僧が修行する仏教寺院
- 四天王寺~ 日本最古の官寺
- 釈迦三尊像。弥勒菩薩像。優しいほほえみなどもヘレニズムの影響。玉虫厨子(仏像などの入れ物)。唐草文様(ヘレニズムの影響)しし舞のガラ
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