こんにちは
てぃ~ちゃ~Mです
今回は#34【中学校社会科 歴史】元軍の襲来を紹介します
▼今回の動画はこちら▼
まとめ(ノート用)コピペどーぞ(^_^)
元寇・・・元軍の日本侵略
・元(ゲン) ~ 皇帝 フビライハン → 高麗(朝鮮半島)を征服し日本へ
・鎌倉幕府 ~ 執権 北条時宗 → 服属を拒否
①文永の役(1274年)~元・高麗軍が博多に上陸・・・
集団戦、弓矢、火薬(てつはう) VS 一騎打ち(武士)、馬と刀、暴風雨
↓引き上げ ↓防塁(石塁)で対策
②弘安の役(1281年)~14万の混成軍で再度襲来、石塁の効果、暴風雨、伝染病など → 引き上げ → 3度目の計画するもフビライの死で中止
勉強復習、予習、テスト勉強などの参考にどうぞ(^_^)
▼ 歴史記事 ▼
本記事の内容:元寇
- 文永、弘安の役
- 関係と結果
元寇から鎌倉幕府の滅亡まで
元、フビライハン、モンゴル帝国、チンギスハン、執権 北条時宗、文永の役、防塁、てつはう、弘安の役、遊牧民族、騎馬軍団、マルコポーロ、東方見聞録、ジパング、羅針盤、火薬、高麗、
今回のキーワードです
文永、弘安の役
元による二回の日本侵略を元寇と言います
それぞれの年号(元号)をとって文永、弘安の役と言います
元の皇帝はフビライハン
日本の鎌倉幕府のリーダーは執権の北条時宗
元の皇帝フビライハンが日本に服属を求めて(子分になるように求めて)日本に使者を送るが、最終的に使者を切り捨てたことにより元が日本に攻めてくる。
文永の役(1274年)
元・高麗軍が博多に上陸・・・
集団戦、弓矢、火薬(てつはう) VS 一騎打ち(武士)、馬と刀、暴風雨で撃退
元の混成軍は引き上げ、鎌倉幕府は次の襲来に備えて防塁(石塁)を築く
弘安の役(1281年)
14万の混成軍で再度襲来、石塁の効果、暴風雨、伝染病などで、引き上げ、3度目の計画するも高麗やベトナムなど各地の抵抗やフビライの死で中止
関係と結果
元の皇帝フビライハンが日本に従わなければ攻め込むぞという手紙と使者をたびたび送るが鎌倉幕府は拒否。使者を切りつける。
怒った元軍が攻めてくる。
日本刀の強力さ、馬を使った少数隊での切込み。対する元軍は軽装備、武器の弱さ。てつはう(4kg~10kg程度と考えられる)も手で投げるのは威力がない。投石器も命中率が下がる。あまり効果なしだった。
暴風雨と言うことは夏場だったと考えられる。船の上で湿気と暑さで病気や食べ物の腐敗が進んだと考えられる。そのうえ、雨風で船が沈む。船もあちこち動かないように船同士を結んでいるので巻き込んで沈没。
2回とも日本軍が元軍を追い込んでいる。神風は後世の子ども教育の為
頻出問題①
鎌倉時代、二度の元の襲来を何というか
答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2019/11/14/post-646/
頻出問題②
元寇の際の執権は誰か。以下から選びなさい
【ア:北条時宗 イ:北条泰時 ウ:北条時政】
答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2019/11/14/post-649/
頻出問題③
元寇での二度目の襲来に備えて石で壁を築いた。この石の壁の事をなんというか答えなさい
答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2019/11/14/post-652/
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