こんにちは
てぃ~ちゃ~Mです
今回は#54【中学校社会科 歴史】江戸時代 享保の改革を紹介します
▼今回の動画はこちら▼
まとめ(ノート用)コピペどーぞ(^_^)
享保の改革
徳川吉宗の政治(8代目)
質素倹約の奨励
上米の制・・・大名1万石あたり100石を幕府に献上(参勤交代半減)
新田開発の奨励・・・商人の参加
年貢の引き上げ・・・検見法→定免法(数年間の平均で年貢を産出)
実学の奨励・・・
漢訳洋書の輸入許可~キリスト教以外の産業関係の本
商品作物の栽培~ききん対策でさつまいも。他にさとうきびなど
足高の制・・・有能な武士の登用
公事方御定書・・・裁判の基準
目安箱・・・庶民の投書を幕府へ
勉強復習、予習、テスト勉強などの参考にどうぞ(^_^)
▼歴史記事▼
本記事の内容: 江戸時代の改革がわかる(享保の改革)
入試でもよく出る江戸時代
時代の概要と人物と政策と文化と順番を理解していればテストも怖くありません
2020年1月現在、日本の首相はわかりますよね?
そう、安倍晋三です
今、首相のまわりでいろいろと問題はあります
例えば「桜を見る会」「IRわいろ」「ウグイス嬢の報酬」「W辞任」・・・
そんななか私たちの一番身近な「税金」は一部10%になり多少の負担は増えました
そして2020年、今年度の国家予算は102兆円を超えるとされ過去最高
国民への負担は増えるし、国の使うお金は増えていく
以前「安土桃山時代」の項目で、「戦国武将は経済を上手く回して天下を取った▼織田信長▼」と紹介しましたが
今はどうでしょうか・・・(ちなみに税とは記事はこちら▼【公民】財政▼)
話がとんでしまいましたm(_ _)m江戸時代の将軍も財政問題には直面していました
その困難に立ち向かうのが様々な改革を通してです
だから、過去の改革を学ぶことで今を見つめることもできるのです
18C前半のころから紹介していきます
享保の改革
徳川吉宗
前回の記事でも紹介しましたが、もう少し詳しく言うと
徳川御三家の紀州藩第2代藩主の息子として生まれる。初代将軍・徳川家康のひ孫に当たる人物です
財政が不安定な幕府ですが、財政を立て直さないといけないのが課題です
上米の制
大名に1万石あたり100石の米を幕府に納めさせる制度を設けました
例えば加賀藩の藩主は100万石の領地を与えられていますが、それならば1万石の米を納めさせるというもの
納めさせると書いていますが幕府のお願い的な要素も強いです
一見幕府の収入は上がりますが、これには交換条件があります
参勤交代の期間が1年から半減されました
何より、幕府が各藩に依存状態になっています
これにより、大名の江戸での生活費なども軽くなり、領国内での活動も多くなるので各藩の力は強くなっていきます。
新田開発と年貢
- 新田開発
商人に新田開発参加させることで食糧不足にも対処しました
新たな田を作ることは利益も見込めますが費用がとても掛かります
その費用を商人に負担させることで開墾をすすめました
新田開発による利益も幕府は保証することで新たな田が多くできていきます
大阪ならば「鴻池新田」、新潟県の「紫雲寺潟新田」や関東の「武蔵野新田」などが有名です
そういった商人が後々地主へとなり経済力を持つようになります
- 年貢
それまでの年貢の決め方は「検見法(けみほう)」といって、幕府の役人が検地しに来て年貢高を決めるというやり方でした
これにはいくつかの問題も発生しています
検地に来る役人の滞在費用は村が請け負うことになっています
さらに、わいろを渡したりすることで年貢量を下げたりすることもありました
要するに村の農民にはお金がかかるということ
幕府にとっては、不作などでコメができないと、幕府の収入が少なくなるということにも直結します
なので
「定免法」という年貢のシステムにします
過去の一定期間の収穫高を参考に年貢高を決めます
コメが不作の場合は検見を行って、実状に応じて年貢を課しました
農民にとっては不作でも一定の税がかかるのですが、実際は米の取れ高が検見よりも多いということ、土地を新たに開墾しても年貢は一定ということ、役人の費用を考えれば農民にもメリットのある制度だったのです
定免法を採用することで幕府の財政も一時安定しますが
これにも落とし穴があります
コメがたくさんできるときは年貢は一定なので年貢以上は収入になりますが、不作の時でも年貢を納めなければならないので、不作の時に農民が逃げてしまうということがありました。
地方によって検見法にするか定免法にするかは様々だったようです
実際は・・・
百姓
人はより豊かに生活したいと思う生き物です
それは今も昔も変わりません
百姓と水呑百姓だったらどっちがいいか?
百姓には年貢がかかりますが水呑百姓は土地を持っていないから年貢がかかりません
でも、水呑百姓が貧しかったかというとそうでない場合も多いです
商人的な職業で、質屋や染物屋、酒屋やしょうゆづくりなど、帳簿上は石高がなく、裕福になる者もいました
その他、米よりも高く売れるモノを作る百姓も多かったです。売るために作る作物「商品作物」ですね
そういった人たちは、米は作らず買っていたようです
だから江戸時代は働いたら働いた分だけ収入が増えるという時代でもあります
そういった背景から農書で学び収入を増やす百姓も多かった勤勉な人たちがいた時代です
農書・・・宮崎安貞の「農業全書」
武士
幕府の財政が厳しい時でも、幕府で働いている武士には給料をあげなければなりません
ですが、無駄遣いは困ります
なので質素倹約をしなさいというのが幕府のすすめでした
江戸の町はすでにサービス業の町です
当時一番多かったサービス業は植木屋さんといわれています
武士は生産はしませんが消費はします
収入は増えないけどサービスは利用し続けるのでお金が足りません
借金をします
借金をしてサービスを受けてまた借金をするという結構ダメな状況でした
だから質素倹約ということで無題遣いはするなとしたんですね
もうひとつが、米が中心の社会ということ
給料自体は現金が多いですが、幕府の収入の基本は米になります。この米を換金して現金にしますがこのシステムが江戸時代の一番の難点でした
明治になると税金が米から現金に代わりますがこれで政府の収入は安定し強くなるわけです
だけど、江戸時代は米が中心の社会を変えることはできませんでした
支配体制
足高の制
当時の幕府の役職には石高が必要でした
例えば100石の武士はこの役職には就けない200石は必要だから。といった具合です
そうすると、能力のある人物が石高が足りないということで良い役職に就けないということが起こります、そういった時のために石高を足してあげるというシステムです
例でいうと、江戸の町奉行である大岡忠助などがいます
公事方御定書
簡単に言うと裁判の基準で、江戸幕府の基本的な法律。訴訟や刑の基準を決めるもの。
目安箱
身寄りのない病人を受け入れる施設(小石川療養所)や町の火消しなど、庶民の要望を直接受け取り街づくりの参考にしました
飢饉
江戸時代は米がよく動く時代で、米は食べ物だけど、お金にもなるモノになっていた
お金になるなら換金しちゃえという人も多くいたから難しい時代なのです
大名もお金がないと米を換金しまくります
土地の開墾や農具の改良や肥料の使用などでコメは余るぐらいに作られる場合も多かったのですが、それを大阪に送って換金するわけです
そうすると、領国内の米が少なくなります。不作が重なっても現金化するために米を大阪へ送って領国内には米がない(不作時は米が高値で売れるから)。そうなってしまうと困るのは民衆です。食べ物がなくて上で苦しむ人が多かった時期をいくつか載せておきます
1642年~寛永の大飢饉
1732年~享保の大飢饉
1782年~天明の大飢饉
1833年~天保の大飢饉
不作でも換金、豊作でも換金でサービス業の普及があるのに米がお金の基準の中心にあったことが課題でもあった時代です
問題
頻出問題①
享保の改革を行った、江戸幕府8代目の将軍を答えなさい
答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2020/01/22/post-1466/
頻出問題②
大名に1万石あたり100石の米を幕府に納めさせる制度を何というか以下に当てはまる漢字2字を答えなさい
【○○の制】
答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2020/01/22/post-1469/
頻出問題③
能力や素質があるが家柄が低いために要職に就けないといった旧来の不都合を解消し、良質の人材を登用することをその目的としている制度で、就任する際に在職中のみ不足している役料(石高)を補う制度を何というか、以下に当てはまる漢字2字を答えなさい。
【○○の制】
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