#78【中学校社会科 歴史ノート】日中戦争と日本の戦時体制

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てぃ~ちゃ~Mです

今回は#78【中学校社会科 歴史】「日中戦争と日本の戦時体制」を紹介します

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ノート用まとめ

中国統一の動き

・蒋介石・・・国民党。1927年、国民政府軍による北伐

・日本軍の干渉・・・1927年、山東出兵/1928年、張作霖を爆殺する事件

・日本の軍部・・・「満州は日本の生命線」

満州事変(1931年)

・柳条湖事件・・・日本軍による満州鉄道爆破を「中国がやった」とした→満州を占領

・「満州国」の建国・・・元首:溥儀として日本が支配

・リットン調査団・・・1932年、国際連盟による日本軍撤退決議→日本の反対と国際連盟からの脱退

日本のファシズム

・五・一五事件・・・犬養毅首相を暗殺

・二・二六事件・・・高橋大臣暗殺

日中戦争(1937年~1945年)

・盧溝橋事件・・・日本軍が宣戦布告なしに中国軍を攻撃

・南京虐殺・・・主と南京を占領し、住民などを虐殺

日本の戦時体制

・国家総動員法・・・1938年、国民を徴用(軍需工場で働かせる)/物資の徴発(配給制)

・大政翼賛会・・・1940年、多くの政党が合流→戦争に協力(産業報国会など)

・国民生活・・・隣組、非国民、国民学校での軍国教育

・公民化政策・・・朝鮮での創氏改名や神社参拝の強要

勉強復習、予習、テスト勉強などの参考にどうぞ(^_^)

▼歴史記事▼

本記事の内容:日本が戦争へと進んでいくきっかけがわかる

日本の不景気

第一次世界大戦後からの日本の不景気は、関東大震災も加え深刻化していく

世界恐慌もあって都市部の会社が倒産していくことで失業者が増え、農村でも農産物が安くなるなどで打撃を受ける。さらに、アメリカへの輸出も減ったため日本全土に不景気の波が押し寄せました

冷害や凶作で、「娘の身売り」と呼ばれる人身売買。「欠食児童」と言われる、経済的に食事を十分にとられなかったり、学校へ弁当を持っていけない子供たちもいました

こういった不景気だったので、労働者の給料が下がったりクビにされたりも増えてきたので、労働争議も増えました

農村での小作争議なども増え、政府も「治安維持法」の最高刑を改めるなど社会運動に対する取り締まりを強めます

しかし、力を持っている「財閥」は合併などで力を強め、さらに、政治家と結びつくことで、国民の間には政治や財閥に対して不満の声も高まりました

日本と中国との関係

抗日運動

中国では統一の動きが高まっていました

軍が中心の勢力が多い中、中国を一つにしようという考えは孫文のころからありました

孫文を引き継いで国民党を指導したのが「蒋介石(しょうかいせき)」で、蒋介石は北伐(各地の軍閥を倒す)をすすめます。この軍隊を「国民政府軍」と言います

国民政府軍が南京で外国領事館を攻撃しました。これを受けて、イギリスやアメリカは武力による報復に出ますが、日本は国際協調のなか、武力での報復はしませんでした。

この日本政府の対応には国内からも批判の声が多く出ました

ですが、国民政府軍が北京に近づくと日本も軍隊を送ります。これが「山東出兵」(1927年)です

一方、「日本軍」が動き出します。日本軍は中国の満州を侵略するためにきっかけとして、中国の軍閥の指導者である「張作霖」を爆殺する事件を起こしました

こういった日本軍の動きは「満州は日本の生命線である」とする考えによって起こされた行動です。そして、こういった日本軍の行動を抑えきれない日本政府は内閣総辞職します

満州事変

中国が国民政府によってほとんど統一されると、満州にも影響があるとして、日本は満州での権益(支配)を強めようという考えが強まっていきます

1931年に満州にとどまっていた日本軍が事件を起こします。

中国の柳条湖というところで、南満州鉄道の線路を爆破しました。これを中国側がやったとして日本軍は攻撃を始めます

日本政府は、満州での線路はこれ以上は広げないという考えでしたが、日本軍は政府の考えを聞かずに満州支配を広めていきます

日本軍はさらに、清王朝最後の皇帝を、「満州国」という日本軍が中国に作った地域の元首として置き、実際は日本軍が皇帝を支配していました。その皇帝の名前が「溥儀(フギ)」です。ラストエンペラーですね。

この満州国の重要な役人にはほとんど日本人がなっています。という事は、日本人が支配する、中国人皇帝の国という事です

この一連の出来事が「満州事変」です

ですが、世界は侵略はOKとは考えていません。

国際連盟が「柳条湖事件」の調査にあたります。このとき派遣された調査団がリットン率いる「リットン調査団」です

その結果、国際連盟は「満州国は日本が作らせたものだから、日本軍は占領地から撤兵するように」との結論を出します(賛成42:反対1(日本))

しかし、日本はこの結果を受け止めず、国際連盟を脱退、軍縮条約の破棄、軍縮会議からも離れて、国際的な孤立を強めます。同時に、軍備の増強も強めていきます

日本のファシズム

満州事変の結果成立した国は「満州国」

その結果力を持った日本の機関は「日本の軍隊」

満州事変の成功?で、軍隊への賛成が多くなる「報道も軍を支援」

1930年代にこんな言葉がはやる「君側の奸(くんそくのかん)」

君側の奸・・・君主(天皇)のそばにいるやつらは悪いことをやっているという意味

軍が支配を強める中、天皇の周りにいる政治家のやり方が悪いから、今の政治はダメなのだという考えが広まっていきます

それはどんどん広まり、首相にまで及びます。暗殺事件です。

1932年、犬養毅首相が海軍の青年将校によって暗殺されます。これが「五・一五事件」です。

犬養毅は反対していました「満州事変」に。軍隊のやったことを批判していたという事です。

軍の行動を批判するものが暗殺されたのです。首相までもが・・・

この海軍青年将校はすぐに釈放されます。そして、新聞がそれを支持します

続いて、1936年、軍部にだけ予算を多く上げるのはダメだと主張した大蔵大臣「高橋是清」が殺害されます。このとき、陸軍の1400人余りが国会周辺を占領し、高橋大臣を殺害しています。これが「二・二六事件」です

軍のいう事を聞かないとこうなるぞ。ということで、どんどん日本が軍国主義化していきます。これが日本のファシズムが強まるという事です

そして、共産主義に対抗するという理由から、ファシズムを進めるドイツと「日独防共協定」(1936年)を結びます。日本とドイツの共産主義を防ぐ協定という事です。

日中戦争

そのころ中国では、蒋介石率いる国民政府と、「毛沢東(もうたくとう)」率いる「中国共産党」との間で対立していました

ですが、満州から支配を広めようとする日本があったため、一旦休戦して協力することにします。こうして、日本との対立が大きくなっていきました

1937年に日本は宣戦布告のないまま、中国軍への攻撃を開始します。中国の北京の近く「盧溝橋(ろこうきょう)」というところでおこったので「盧溝橋事件」と呼ばれます

これがきっかけとなった、日本と中国の全面戦争に突入します。

日本は、占領した南京で、多くの捕虜や住民を殺害したことで、世界から非難されます「南京大虐殺」

日本の方針としてはこんなのがあったみたいです「焼き、殺し、奪いつくす」三光作戦と言われています

こういったなか、中国では国民政府と共産党が手を組み「抗日民族統一戦線」(1937年)を結成します。アメリカやソ連、イギリスなども中国を支援し日本は戦うことになりました。

日本の戦時体制

すべてが戦争中心へと動いていきます

資源を持たない日本は何に力を注いだのか・・・?

人材育成です

この戦争では大人というより子供が取り込まれていった戦争です

16、17歳の青年が、泣きすがり、必死に止める母に「お国のために」という

天皇制的、軍国主義教育が見える

神社への参拝や、教育勅語の奉読、出兵兵士の歓送、戦没者への墓参りなど戦時教育体制が確立されていっている

たたきこまれたのが「忠君愛国」だ

こういった教育的な思想だけでなく、経済面での協力(強制)もある。それが、「一戸一品献納運動」といって、家にある何かを一つ国のために差し出せというものである

その他「集団的勤労作業運動実施の通達」というものが出されて、子供たちに対して、ウサギの飼育(肉や毛皮)や、芋ほりなど学校での作業などもさせられるようになった。現在は、生き物の愛護的に飼育がおこなわれているし、理科の勉強で植物の栽培がおこなわれているが、昔(戦時中)は軍のためでした。

こういった、子供たちへの強制が「学徒動員」へとつながっている

学生だけではなく、一般人ももちろん巻き込まれている

「隣組」や「町内会」といった地域での相互監視や密告

「ぜいたくは敵だ」いわれ、指示や政策に反対するものは「非国民」と言われ非難される

そういった国の統制が、自由の統制にもつながる

「言論」「表現」「思想」の自由が統制され、労働組合が解散させられ、政党までもが解散させられる

軍閥による、人モノ金への直接統制です

これが法律という形で現れたのが

「国家総動員法」(1938年)です

こういった中、一つの党が一つの国を仕切っているドイツへのあこがれが日本国内でも出てきました

1940年に、多くの政党、政治団体が解散し、一つにまとまります。それが「大政翼賛会」です。

大政翼賛会は、そもそも軍隊に対抗するための組織であったが、結局は国民を統制する組織になってしまう

この大政翼賛会の元、様々な組織が作られます。先ほど紹介した「隣組」による相互監視や、経営者も労働者も戦争のために協力し合う「大日本産業報国会」もその一つです

こうして、悪い意味で一つにまとめられていった日本は、ファシズムが強化された体制の元、長期化する日中戦争、太平洋戦争へ向けて進んでいくわけです

まとめ

結果には原因があります

戦争にもきっかけがあります。基本となる事件や、事件の背景にある国際関係などを大きく見ることで、小さな出来事の理解につながります。

ここでいうと、日中戦争のはじまりは盧溝橋事件から。でも、満州事変という柳条湖事件を発端とする中国支配が背景にあります。もっと言えば、第一次世界大戦での中国への権益を求める21か条の要求もあります。

問題

頻出問題①

1931年9月18日に中華民国奉天郊外の柳条湖で、関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した事件が始まりで、関東軍による満州全土の占領、日本と中華民国との間の武力紛争を何というか答えなさい。

答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2020/02/25/post-2236/

頻出問題②

1937年7月7日,北京郊外の盧溝橋で演習中の日本軍とこの地に駐屯していた中国軍との間に発砲事件が起こり,これを機に日本軍は本格的に軍事作戦を始めた。この、1937年7月から 1945年8月まで日本と中国の間で起こった戦争を何というか答えなさい。

答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2020/02/25/post-2239/

頻出問題③

総力戦のための動員や物資調達、言論活動など、様々な分野で議会の関与なしに国民生活を統制・制限できる権利を政府に認めた法律を何というか

答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2020/02/25/post-2242/

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