こんにちは
てぃ~ちゃ~Mです
今回は#84【中学校社会科 歴史】「日本国憲法と諸改革のまとめ」を紹介します
ノート用まとめ
日本国憲法
・GHQの指示
・政府案では不十分→GHQ案→新改正案→国会審議、可決
・公布~1946年11月3日/施行~1947年5月3日
・前文~「政府の行為によって再び戦争を起こさない」
・三原則~国民主権、基本的人権の尊重、戦争放棄(平和主義)
・天皇の地位~日本国および国民統合の象徴
・地方自治~知事や市町村長は住民選挙
・個人や男女平等~民法の改正(「家」制度の廃止)
民主化
・財閥解体~三井、三菱、住友、安田。1947年:独占禁止法
・農地改革~地主の農地を小作人へ
・教育~1947年:教育基本法、教育勅語廃止。義務教育(6・3制)、男女共学、教育の機会均等、教育委員会の設置
勉強復習、予習、テスト勉強などの参考にどうぞ(^_^)
▼歴史記事▼
本記事の内容:第二次世界大戦後の日本で制定された日本国憲法と諸改革のまとめ
マッカーサーと天皇
さて、下の写真ですが、どちらが偉そう(威張ってそう)に見えるでしょうか?
色々な見方や考えがあるかもしれませんが
左の人物は手を腰に当てていますね
対して右の人物は両手を体の横に当てて気を付けの姿勢ですよね
そして身長も明らかに違いますが、
これは左が連合国軍総司令部の最高司令官マッカーサーで
右側に立っているのが昭和天皇です
この写真は1945年の9月にとられたものですが、その少し前に日本がポツダム宣言を受け入れましたね(8月14日に受諾、8月15日に玉音放送▲ 参考 終戦 ▲)
ポツダム宣言を受け入れ、日本にやってきたのがマッカーサーです
ちなみにマッカーサーは日本占領に関して大統領から日本占領の全権(すべての権力)を預けられていました
言い換えるとマッカーサーの判断で日本は大きく変化する可能性も持っていました
ですが、厚木基地(神奈川県)に降り立ったマッカーサーは本来軍人ならば持っているべきものを持っていませんでした
それは
「武器」と「ボディガード」です
マッカーサーは丸腰という事です
その厚木基地では、一部の日本人がマッカーサーを襲うと宣言していましたが、襲う計画は実行されず、施設の破壊などで終わりました。(マッカーサー到着までにきれいにされましたが)
襲えばよかったんじゃないかという過激な発想もあるかもしれませんが、ここに大日本帝国憲法の第一条を載せます
「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
そんな厚木基地に到着し、いろんなところへ行きましたが、のちに東京へと向かうマッカーサーは皇居(天皇が住んでいるところ)を見下ろす高めのビルを本部にします
自分の立場を示すという目的も感じられます
ですが、マッカーサーはこう考えていたようです
「日本国民を効果的に統治するためには天皇に対しての畏敬の念を大切にするべきだ」と
もう一度大日本帝国憲法を確認してください
当時の日本では天皇は絶対の統治者です
そんな天皇やマッカーサーの話し合いが実現することになるのですが、マッカーサーは自ら天皇に会談を申し出たのではなく、天皇側からマッカーサーへ会談を求めました
マッカーサーが呼ばなかった理由は、天皇を呼びつけると日本国民を怒らせることになるだろうと考えたからです
天皇はマッカーサーとの会談でこう述べたようです(諸説ありますが)
「戦争の責任はすべて自分にあります」と
それに対しマッカーサーは
「陛下が平和のために努力したことはわかっています」と
天皇の責任は認めませんでした
ですが、アメリカ本国からは天皇への責任を追及しろと言われていました
でもマッカーサーは「責任を追及する根拠は何もない」としました
そんなマッカーサーと昭和天皇の話し合いでその写真ですが
この写真が新聞に掲載されてしまうと天皇の威厳が低く見られてしまう可能性があるということで、各新聞社は内務省に写真を載せることを止められていましたが、マッカーサーは「写真を載せろ」と言って、写真を載せるなといった大臣や関係者を次々にクビにしました。
これがきっかけになって、様々な法律が改正されていくことになりますが
法律の根本は何か?
「憲法」です
憲法にもとづいて作られる法律ですが、法律の改正には大元である「憲法」を変えないといけません
これに対しマッカーサーは「大日本帝国憲法」のままでいいと思ったか?
答えは「No」です
連合国軍総司令部は憲法の改正に取り組んでいきます
日本国憲法
できるまで
連合国軍総司令部は日本政府に対して憲法の改正を指示します
政府の改正案は大日本帝国憲法の一部を少し変えただけでした
このままでは民主化は不十分として、民間の案を取り入れたGHQ案の憲法を作ります
日本政府はこれをもとに新たな改正案を作り、国会(1946年4月衆議院総選挙)で審議され修正を加えられて可決します
1946年11月3日~日本国憲法の公布
1947年5月3日~日本国憲法の施行
内容
詳しくは公民分野で紹介しています(▲ 公民 日本国憲法 ▲)
ここでは簡単にまとめています
・憲法前文~「政府の行為によって再び戦争を起こさない」
・三原則~国民主権、基本的人権の尊重、平和主義
・天皇の地位~「日本国および国民統合の象徴」
・地方自治~知事、市町村長は住民による直接選挙
・個人の尊重、男女平等~民法の改正・・・「家」制度の廃止
民主化
財閥解体
経済の面で、これまで日本の経済を支配し、軍国主義を支えた、戦争への最大の協力者とみられた財閥(三井、三菱、住友、安田など)は解体されました
財閥の下についていた企業は独立させられることになりました
これが財閥解体です
のち、1947年に独占禁止法ができて、一部の企業が一つの製品を独占することを禁止する法律ができました(競争にならないのでは不公平。例えば巨大な企業が靴を100円で売り出したら小さな会社は太刀打ちできずにつぶれていく。最終的に100円靴の会社だけが残って市場を独占するという事)
農地改革
地主と小作人の関係を改めるため、地主の農地を政府がいったん買い上げて、小作人へ安くで売るという政策。
これにより、自作農が増え、地主が農村を支配する力をなくしました
教育
軍国主義や天皇制を改める目的です
1947年に民主主義教育の基本をしめす「教育基本法」が制定され、のちに教育勅語は廃止されました
学校制度は、義務教育の6・3制で高校や大学までを含めると6・3・3・4制になりました
男女共学や、教育の機会均等、地域の実情を考えるため教育委員会も作られ、教育委員は住民の直接選挙でえらばれるようになりました
日本の戦後を知るための12人 池上彰の<夜間授業> (文春e-book)問題
頻出問題①
日本国憲法が施行された年月日を以下から選んで記号で答えなさい
ア:1946年11月3日
イ:1947年5月3日
ウ:1948年11月3日
答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2019/08/28/post-2364/
頻出問題②
日本国憲法の三原則と関係のないものを以下から選んで答えなさい
【 国民主権 天皇主権 基本的人権の尊重 戦争放棄 平和主義 】
答えhttp://teacherceo-masajirusi.com/2019/08/28/post-2367/
頻出問題③
戦後、経済の面で日本を支配し、軍国主義を支えていたとされて三井や三菱、安田、住友などの企業が解体、それに伴い関連企業が独立させられた。これらの政策を何というか漢字4字で答えなさい
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