こんにちは
てぃーちゃーMです
「生徒に対し強い口調で叱ってしまった・・・大丈夫かな?」
「生徒指導でつい手が出てしまった・・・大丈夫かな?」
教師として勤めていると、自分自身の行動の一挙手一投足に意識をしなければいけません
ですが、時に、「つい」があります
今回は「学校と暴力」をテーマに
校内暴力について
学校内での暴力パターンの4つ
教科化された「道徳」
について紹介していきます
この記事を読めば、暴力を二度と振りかざすことがなくなります
当たり前のことかもしれませんが立場の違いによって、学校内での暴力行為は大きく分けると4パターンあります
- 教師間の暴力
- 教師から生徒への暴力
- 生徒間の暴力
- 生徒から教師への暴力
です
でも、そもそも校内暴力(暴力行為)という言葉があり、それは定義がちょっと違うので先に紹介しておきます
校内暴力とは
教師はおそらく常に改善に取り組んでいるが、改善していないのが現状です
校内暴力とはまずこの4つを言います
- 「対教師暴力」
- 「生徒間暴力」
- 「対人暴力」(対教師暴力、生徒間暴力の対象者を除く)
- 「器物損壊」
です
校内暴力の現状と対応策を文科省も出していて
平成21年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」によれば、小・中・高等学校における暴力行為の発生件数は約6万1千件と、前年度(約6万件)より約1千件増加となり、平成18年度以来連続して増加するとともに、小・中学校においては過去最高の件数に上っている。特に、小学校における暴力行為の発生件数は、7,115件で、その増加率は9.7パーセントであった。
引用:文部科学省より
とあります
単純に学校数が3.5万ですから、1校で約2件の校内暴力が発生しているという事です
指導に当たっての基本的な考え方もあります
基本姿勢としては「個に応じた指導」「教職員と児童生徒の人間関係の重視」「新しい傾向の暴力行為への対応(家庭や関係機関等との連携による対応)」
校内指導体制の在り方として
○児童生徒理解の不足…暴力行為を起こす児童生徒の抱える問題の理解不足
○指導方針に対する共通理解・認識の不足…学年間や個々の教職員で指導方針がそろわない
○個人の力量に頼る指導…一人で問題を抱え込む、対症療法的な指導
○生徒指導重点目標及び指導基準の不明確さ
これらの対応として
- 組織的な生徒指導の推進…学校の教育目標を達成するため、校長を中心に、マネジメントサイクル(PDCA)で組織的に取り組むシステムをつくる。
- 生徒指導の目標・方針の明確化…指導方針、指導基準、指導目標を明確にするとともに、文書化して全教職員に周知し共通理解を図る。
- 開かれた学校づくり…学校の情報発信をはじめ、保護者、地域、関係機関等に開かれた双方向の連携を図る。
- 体制の見直しと適切な評価、改善…定期的に児童生徒理解を深める機会を設ける。また、生徒指導及び教育相談体制を見直し、教職員自らの内部評価とともに児童生徒や保護者をはじめ、地域住民や関係機関など外部の意見や評価を取り入れる。
そういった中で学級担任の指導と役割についても述べています
- 児童生徒理解の深化
- 学級における人間関係づくり
- 教育相談活動の充実
- 規範意識の醸成
こうすることで校内暴力が減っていくだろうと考えているのですね
といっても、通常、まともな教師ならば基本的に全部やっていますが、年々減っていない現状があるということですね
学校内での暴力パターン
教師が教師に対して
教師が暴力の基準をわかっていないと生徒へ指導なんてできるわけがない
教師間の暴力にはパワハラやセクハラ、いじめなどがある
例を挙げると
神戸のカレー教師2019年の終わりごろに発覚した教師間でのいじめ問題
激辛カレーを無理やり食べさせるなどの行為があったようですね
現在でも、加害教師は罪を擦り付け合うように○○の方がひどいことをした、気持ちのない謝罪などで罪の意識はあまりない様子見たいです
そして、加害教師に対しての給与の差しとめに対し、弁護士を付けて不服申し立てをしているようです
人を人と思わない扱いをして、自分の身に危険がせまったら守りに入る、教師として最悪ですね
影響を受けてか、小学校の教員採用試験では170人の採用予定に対し、合格者が142人
教師の人気が落ちたのは明らかです
ちなみに教師間でのセクハラはわかっているだけでも全国で290件近くある
中には、戒告による給料に影響のある処分を受ける場合もあれば、訓告で止まっている場合もある
給料をもらえることはありがたいことだが、お金目的で勤務しているならそれはただの「作業」でしかない
学校の教師には「作業」は不要、すべてが生徒の成長のための行動になり、それが「教師の仕事」である
教師が生徒に対して
体罰はどんな場面であっても犯罪です
体罰に関しての調査報告があります(文部科学省より)
令和元年12月に出された「体罰の実態把握について」では
各種学校での合計が約760件
ですが、これは処分を受けたもののカウントであって実際の数字とは違います
じゃあ、そもそも体罰って何?というと
学校内における体罰については、20世紀後半から21世紀初頭においてさまざまな定義づけがなされている。たとえば、「子どもの望ましくない行動もしくは言動に対して、意図的に苦痛を与える」、「生徒の許容されない行動に対し、教育機関の当事者によりペナルティとして意図的に与えられる身体的な苦痛や不快感」、そして「行動を変える手段として意図的に肉体的な苦痛を与える(当面の危害から生徒や他の人々を守るために一時的に身体を拘束する目的で用いるのではない)」といったものである。
引用:Wikipediaより
身体的な苦痛っていうことは、暴力と同じですよね?
じゃあ、暴力とは何か?
暴力(ぼうりょく)とは他者の身体や財産などに対する物理的な破壊力をいう。ただし、心理的虐待やモラルハラスメントなどの精神的暴力も暴力と認知されるようになりつつある
引用:Wikipediaより
とあります
簡単に言うと生徒が傷ついた教師の暴言は「体罰」ということになります
手を出すだけが体罰ではないという考えに世の中が変わってきています
ちなみに体罰での処分を受けた教師の割合は中学校が約45%で、校種で比較すると一番多いです
ここにこんなデータがあります
体罰は犯罪として処罰されるべき?(しらべぇ編集部の調査)では
約6割の人が処罰されるべきと回答しています
そりゃそうだと思います
いかなる形であっても手を出していたら暴力は暴力、処罰されないという事は大きく言うと法治国家を軽んじる行為になります
体罰は犯罪と同じで、隠してしまうと法治国家の根幹が揺らいでしまいますね
ちなみに暴言も言葉の暴力です
(参考記事:▲【暴言は暴力】教師のダメな言葉遣い5選【最悪のケースも知っておく】▲)
生徒が生徒に対して
教師がしっかりと見てあげる、聞いてあげることで救われるケースも出てくるのが「いじめ」です
いじめ
文部科学省の問題行動・不登校調査(2017年度)で、全国の小・中・高校等で認知したいじめの件数が約41万件となり昨年度と比べると3割程度増加している
学校の数が3.5万と考えると1校で10件のいじめやいじめの可能性があるということになる
学校種別では、小学校が31万件、中学校8万件、高校1万件、などであるが
実際はもっと多いと思う
誰にもヘルプを出せず、アンケートにもかけずに抱え込んでいる生徒も中にはいるだろう
教師が仕事を作業化していると絶対に見えてきません
生徒に寄り添う気持ちが、生徒を見るあなたの目を変えます
そうなっていくことで、見えにくい問題が見えてくる、聞こえてくるようになります
生徒が教師に対して
暴力事件に対し勝ち負けなんてありません。犯罪か否かです
対教師暴力
2017年9月ごろ、福岡の高校で授業中の動画が拡散して炎上しました
授業中に動画を見ていた生徒のタブレットを取り上げたら、教師に対し掴みかかり、蹴りをかますと
これの事件に対して、その学校の校長は言っている
「警察への通報は、学校の負け、教師の負け」だと
ハテナですよね?
あなたが、飲食店をしていて、食事にお客自信が、みんなが見ている中で「虫」を入れて因縁をつけてきたとしたらどうでしょう?
そして、「虫が入ってた~!」というところから動画が始まっていたらどうでしょう?
確実に営業妨害ですし、今後の経済活動にも支障が出かねませんから損害賠償も考えられます
教師も同じです
教育というサービスを提供しているだけであって、そこに甘んじている人間がいる
その一部の人間の甘えに対してサービスをする必要は無い
それはお客様ではなく妨害者だからだ
しかも、殴る蹴るなどの暴力行為もやってくるならば犯罪者です
校長は、学校内での出来事の責任は学校で処理すると言いたかったようです
ここまで拡散している以上無理な事ですが、もし、学校で処理すると言っているのであれば
ある意味「隠蔽」ですよね
もしこれが表ざたになっていなかったとしたら、あの蹴られていた教師はどうなっていたのでしょう?
校長から「君の指導方法が悪いんだよ!」とでも言われそうですね
ちなみに古めのデータですが「暴力行為の件数」です
暴力事件は犯罪です、それは高校生ならばわかるとは思いますが、良いか悪いかという話ではなく有罪か無罪かということです
道徳の教科化で守られる?
無理でしょう、なぜなら、儒教が生まれて2,000年以上たっている現代でさえ戦争はおこっているから
道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根 本精神に基づき,自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、 自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性 を養うことを目標とする。
引用:文部科学省より
とありますが、そもそも道徳の元祖の儒教は戦国時代の中国に起こった考え方です(キングダムのころですね)
乱世の時代に疎かにされた考え方や人間性を見直しなさいと説いた教えです
日本に伝わり、時代を経て国を治めるうえで便利な思想だったため朱子学が採用されます
そして修身
1910年に発行された修身の教科書の内容は(引用:Wikipedia)
儒教主義的倫理が強調され、さらに、軍国的教材も登場、それらが国家主義と家族主義に結合されるように構成されています。教育勅語を教科書の中に多く取り入れられています
国家に対する道徳として、低学年から万世一系の国体観念を持たせようとしている。「忠君」と「愛国」と「義勇」とを結びつける教材があり
人間関係についての道徳では「家」の観念が強調。「人の自由を守る」、「人を助ける」、「商いの正直」、「人に迷惑をかけぬ」などが削除または減少し、替わって、「廉潔」、「報恩」、「寛容」、「謙遜」などが増加または追加されている。
個人の道徳として、学校の意義、教育を受ける、過ちをなくすなどの項目が削除され、自立自営・勤勉・勤労・忍耐も各1つずつ減少。沈着・勇気を説く例話が盛り込まれています
そういった過去もあり、今の道徳は
自立した人間として他者と共によりよく生きるたにあると目標を掲げています
戦前の思想に回帰することは無いでしょうが、道徳教育が暴力から守ってくれるのではない
道徳を教科化することに反対ではないが、教科化する目的と暴力とは結びつかない
みんなが本から学んで実践できるのできるのであれば世の中はもっと平和なはずである
でも、そうではない人が多いから、実際の経験で学んでいく
でも、先に学ぶことで理解が深まるから歴史の教育は大切なのです
最後にパスカルの言葉を「パンセ」より
カなき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。
力なき正義は反抗を受ける。
なぜなら、つねに悪人は絶えないから正義なき力は弾劾される。
それゆえ正義と力を結合せねばならない。
正義という思想だけを持っていても力が無ければ無能という事ですね
まとめ
教師として勤めだした頃に言われたことがあります
「結局は誰も守ってくれないから自分の身は自分で守らないといけない」と
ですが
あなたは、自分を守るために教師になっているわけではありませんよね?
あなたもそうだと思いますが、子供たちの将来のために教師になったのですよね
今回は「学校と暴力」をテーマにしましたが
暴力のない社会や環境を目指すことを教えるため、あなたが教師として存在するならば
あなたは決してあきらめてはいけません
あなたが、教師として子供たちを導いていけば、必ず暴力のない環境は作れるはずです
もう一つ
手を出すというのは一つの行動です
人間には行動の前に必ず思考があります
順番で言うと
刺激→思考→行動
です
刺激→行動
は、そこら辺の動物の感覚です
人間は思考できる唯一の動物です
反応的ではなく「考える」という行動が求められます
私は「7つの習慣」からこういった刺激と行動の間の思考を知りました
もし、それを知らずに過ごしていたら暴力を正当化していたかもしれません
より良い教育のためにもこれからもあなたを応援していきます
最後に
私も少しでも学生の勉強の足しになればと
授業の記事・動画をまとめていますので参考にしてください
▶【てぃーちゃーMの社会科】授業ブログ「やさしい社会科授業」
→http://teacherceo-masajirusi.com/
▶【中学社会科動画】youtube
→https://www.youtube.com/playlist?list=PLWuTo1d_8MwwdbfWkLWaPLUibd6h0I0E0
また、質問や困ったことなどあれば連絡ください。少しでもお役に立てればと思っています
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